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「真似る」と「盗む」
第3回講演会で、講師の中尾繁樹先生が「自分の教師としての力量を高める最初の方法ってわかりますか?」とフロアーの皆さんに問いかけられました。おそらく、参加者の方々の脳内には『研修』『研修』『研修」という2文字が並び、次に『経験』『経験」という2文字も脳内にスローインしてきたかもしれません。
しかし、先生から出てきた言葉は、『盗む』でした!!
今から云十年前、新任教師の時、私も「盗む」行動をした。この科目は〇先生、この科目は☆先生・・と自分の中で決めて平時の授業を見せてもらったのだ。もちろん、校長先生の了解を得て。これはと思う出張研修にも行かせていただいた。研修に行ったら必ず報告会をしなくてはいけない。実践しなくてはいけない。そういった経験を踏まえて、自分なりに分かったことがあった。「真似る」だけではうまくいかない!!「盗む」つもりだったが、まだ「真似て」いるだけだったのだ。うまくいっているのはなぜか、その本質をつかまなければ、目の前の子どもたちに対して単に「真似て」いるだけでうまくいくはずがない。本質をつかむためには、あらゆる知識や知見の土台も必要だ。そして、その終わりなき道を歩くには、先輩も必要であるし、同年代の仲間も必要だった。私にとって「学び」は楽しいものでないと続かないし、楽しく一緒に刺激し合い励まし合える存在は不可欠だったのだ。
そうして云十年。今回、中尾先生から聴いたことは、『盗む』とは『守・破・離』と同じで、教えてもらったことをその通りに動いている段階は『守』、そこから極意を掴みアレンジできるようになるのが『破』、~方式とか~流とか極めて作り上げると『離』。
「僕の今は『破』です。『離』をしようとは思っていません。」中尾先生は、多くの先輩や指導者からの学びと、子どもや保護者とのやり取りの経験から積み上げた価値を通して今の自分がある!ということも伝えておきたかったのではないかと思います。
ちなみに、「真似る」と「盗む」について、パブロ・ピカソの名言とされる言葉がありました。「よい芸術家は真似る、偉大な芸術家は盗む」。真似るのは単なるコピーや模倣(猿真似)であり、技術を学ぶ初期段階には必要だが、それ自体に独自性は少ない。盗むのは複数の源泉から要素を選択し、インスピレーションとして取り入れ自分のものとして新しい価値を創造する行為。他者の要素を吸収・昇華し、独自のクリエイティブな作品へと再構成する「盗み」こそが価値を生むとされているそうです。